ハワード・ヒューズ



ハワード・ヒューズ(Howard Robard Hughes, Jr. 1905年12月24日生)
 [アメリカ・実業家/映画製作者]


 20世紀を代表する大富豪として知られ、「資本主義の権化」、「地球上の富の半分を持つ男」と言われた。テキサスのヒューストン出身。父のビッグ・ハワードは、ヒューズが3歳のとき、鉱物の掘削ドリルの特許と共にシャープ・ヒューズ・ツール社を設立した。 同社が製造したドリルは、それまでのものとは桁違いの掘削能力を発揮し、ヒューズ家に大金をもたらした。1922年、ヒューズが16歳のとき母エイリーンが病死、2年後に父ビッグが急死する。1925年にカリフォルニア州に移り、父から受け継いだ莫大な遺産を元に1927年、かねてからの夢であった映画製作をはじめる。1935年には当時の技術の最先端を行く航空産業に情熱を傾け、自らの名を冠した航空機製造会社、ヒューズ・エアクラフト社を設立した。しかし、1946年に自らが開発に関わった高速偵察機 XF-11を操縦中に、機体が故障しロサンゼルス郊外の住宅地に不時着し大怪我を負ってしまう。

 様々な事業を手がけ、多才な大富豪として富と名声を手にしたヒューズであったが、その晩年は孤独であった。1946年の墜落事故に痛み止めとして使われた麻薬(コデイン)の虜となり、深刻な精神衰弱となった。以前から強迫性障害と思われる行動を繰り返していたが、年を取るにつれて拍車がかかった。極度に細菌を恐れるようになり、トランス・ワールド航空を売却した資金で、1966年にネバダ州のラスベガスにある有名なカジノホテルを買収すると、完全に除菌された最上階のスイートルームから、殆ど外出しなくなる。強迫性障害により、ドアノブを除菌されたハンカチで覆わないと触れなかったり、手を洗い始めると擦り切れて血が出るまでその動作をやめられなくなるため、一切の入浴や手の洗浄が事実上不可能になったとも言われている。そのため、髪と髭は伸び放題で体は垢にまみれ、耐え難い異臭を放っていたという。一流のコックすらも信用できず食事はほとんど缶詰、ベッドの上にティッシュを敷き詰めて眠る、そんな生活を10年以上続けていた。

 1976年4月5日昏睡状態に陥り、治療のため病院に行く途中の自家用ジェット機内で死亡。190cmあった長身は薬物乱用のため10cm以上縮み、体重はわずか42kg、ミイラのような相貌だったため本人確認ができず、FBIによる指紋照合が行われてようやく本人であることが確認された。その亡骸は生まれ故郷テキサス州ヒューストンの墓地に埋葬されている。死因は脳血管障害、心臓病などがあげられている。

 また、ヒューズは明確な遺書を残さなかったため、彼の残した天文学的な財産を処理するためには莫大な労力とおよそ20年もの歳月が必要であった。死亡から3週間後、ヒューズの遺言状とされるものが、とあるガソリンスタンドの店員メルヴィン・デュマルに届けられる。その内容は、放浪の中でホームレス生活を送った際に、その間1ドルを恵んでくれたメルヴィン・デュマルに遺産の16分の1(推定1億ドル以上)を分け与えるというものであった。ただ、この遺言書については不可解な点も多く、真偽を巡って現在も訴訟が続いている。

 1976年4月5日死去(享年70)


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