リヴァー・フェニックス



リヴァー・ジュード・フェニックス(River Jude Phoenix 1970年8月23日生)
 [アメリカ・俳優]


 カトリック教徒で大工の父とハンガリー系=ロシア系正統派ユダヤ教徒の母との間に、5人の子のうちの長男として、アメリカ合衆国オレゴン州マドラスの地に生まれる。両親が宗教団体「神の子供たち」の活動家だったことで、幼少の頃は南アメリカの各地を転々とする生活で、5歳のときにはベネズエラのカラカスで妹とともに舞台に立って歌うなどということもあった。

 1977年に帰国し、カリフォルニア州のロサンゼルスに移る。貧しい家庭に育ち、妹と共に、路上でパフォーマンスをして生活費を稼いでいた。

 母がNBCの職に就いたことで10歳にして初めてテレビに出演。CMやテレビシリーズの仕事を経て、1985年、『エクスプロラーズ』で映画俳優としてのデビューを飾った。翌1986年には青春映画・『スタンド・バイ・ミー』への出演で注目を集める。

 1988年出演の『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネートされるなど、数多の映画への出演をもってスターダムへの階段を駆け上がっていった。1991年配給の『マイ・プライベート・アイダホ』ではヴェネツィア国際映画祭の主演男優賞を受賞。

 1993年、ジョニー・デップが所有するウエストハリウッドのナイトクラブ・ヴァイパー・ルームの入口付近で、ヘロインとコカインの過剰摂取を原因として心不全を引き起こし死亡。その最期はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト・フリーに看取られた。

 出演予定だった『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のインタビュアー役は代わってクリスチャン・スレーターが演じる事となった。予定ではダーク・ブラッド(未完成)を完成させて、すぐに11月30日からインタビュアーが登場するシーンの撮影を始める事になっていた矢先のことであった。

 遺体はフロリダ州で火葬され、遺灰は故郷のフロリダで空中散布された。そのため墓所がなく、その代わりとしてか、薬物中毒で倒れたヴァイパー・ルームの店先に今も世界各地からファンが巡礼に訪れる。同世代では最も将来の約束されたスターであったことから、追悼とともに計り知れない損失であったと惜しむ声は多いとともに、ベジタリアンであり反麻薬運動をしていた彼の薬物中毒での死に失望の声も挙がった。

 1993年10月31日死去(享年23)


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