ペドロ・ロペス



ペドロ・ロペス (Pedro Alonso López 1948年10月8日生)
 [コロンビア・連続殺人者]


 コロンビア・トリマ県サンタイサベルで娼婦の子として生まれる。8歳の時、妹に性的虐待をしたとして親に捨てられ、親切そうな男に拾われるが廃墟でレイプされた。その後、路上で生活するがアメリカ人の家族に引き取られ、孤児院に預けられた。しかし、そこでも男性教師から性的虐待を受け、12歳の時、金を盗んで脱走する。以後、盗みを繰り返しながら暮らす。

 18歳のときに自動車窃盗の罪で懲役7年で投獄された。そこで4人の囚人にレイプされたため、復讐のため4人のうち3人を刺殺した。この殺人事件では、情状が酌量され2年の刑を加算されるに留まった。

 出所後、「自分がされたのと同じ事を出来るだけ多くの少女に対してしてやろう」と誓い、コロンビア、エクアドル、ペルーを移動し、主に市場を狩場にし、思春期前のインディオの少女を誘い出して郊外の森やホテルの一室で殺害。死体は建築現場や森の奥深くに埋めた。

 1980年4月、エクアドル中部のアンバトの市場で少女の誘拐に失敗して逮捕されたロペスは、現地の警察で逮捕されるまでの3年間で300件の殺人を犯したことを自供し、53件までの死体の埋めた場所を教えた。

 3カ国の警察当局がロペスの一連の犯行を察知できなかったのは、ロペスの証拠隠滅がほぼ完璧に近かったため、警察がインディオの少女が多数失踪しているのは白人の奴隷売買グループによる犯行であると見做していたことと、警察がインディオに対して差別意識を持っていたことから、捜査がなおざりになっていたことがあげられる。

 事実、ロペスはペルーでインディオの少女を誘拐しようとして地元民に発見され、リンチにかけられたが、偶然、通り掛かったアメリカ人の修道女が止めに入り、現地警察に引き渡された。しかし、ペルーの警察はインディオの訴えに耳を貸さず、ロペスを国外追放にしてしまっている。

 エクアドルで裁判にかけられたロペスは、死刑制度を廃止した同国で殺人罪に課せられる最高刑、終身刑の判決を受け服役していたが、エクアドルの法律では長期刑は最高で16年までと規定されているため、1998年夏頃に仮釈放となり、その後の消息は完全に途絶えている。

 ちなみにエクアドルで死刑を免れても、隣国のコロンビアでは死刑制度を維持していたため、もしコロンビアに身柄を引き渡されれば処刑される可能性があった。一部では、エクアドルでの判決を不服とする犠牲者の遺族に「処刑」されたという説がある。


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