御船千鶴子



御船千鶴子(みふねちづこ 1886年7月17日生)
 [超能力者として紹介された女性]


 熊本県生まれ。生まれつき進行性の難聴があり、成人するころには左耳が聴こえ辛かったという。繊細な感受性と豊かな情緒性を持っていたと言われる。

 22歳のときに結婚。ある日、夫の財布からなくなった50円が姑の使っていた仏壇の引き出しにあると言い当てたことで、姑は疑いをかけられたことを苦にして自殺未遂を起こしてしまう。このことで結婚からほどなく離婚することになり実家に戻る。

 実家では義兄、中学校の体操教員であった清原猛雄に「お前は透視ができる人間だ」との催眠術をかけられたところ、優れた結果が出たため修練を続けることとなった。その後、日露戦争時に第六師団が、撃沈された軍艦・常陸丸にたまたま乗っていなかった事を透視したり、三井合名会社の依頼で福岡県大牟田市にて透視を行い、万田炭鉱を発見して謝礼2万円(現在の価値で約2000万円)を得るなどした。また、樹皮の下にいる虫の存在や海で紛失した指輪の場所を言い当てたりしたという。

 千鶴子の評判が広がり、1909年から翌1910年にかけ、京都帝国大学医学科大学の今村新吉教授や東京帝国大学文化大学の福来友吉助教授などの当時の学者が研究を始めた。

 1910年4月10日、熊本の清原の自宅で福来と今村は清原の立会いのもと透視実験を行う。人々に背を向け、対象物を手に持って行う千鶴子の透視が不審を招くことに配慮した福来は背を向けても対象物を手に取らないで透視するようにさせたが、この方法では不的中に終わった。今度は清原が用意した名刺を茶壺に入れ、それに触れることをゆるして透視させると、名刺の文字を言い当てたという。

 千鶴子の透視能力を確信した福来は、この実験結果を心理学会で発表した。これにより、「透視」という言葉が新聞で大きく取り上げられ、真贋論争を含め大きな話題となった。千鶴子のもとには、透視の依頼が殺到したほか、「千里眼」の持ち主だと名乗る者たちが続々と現れた。

 1910年9月15日、物理学の権威で東京帝国大学の元総長の山川健次郎が立会い透視実験を行った。 千鶴子は鉛管の中の文字の透視を「成功」させたものの、それは山川の用意したものではなく、福来が練習用に千鶴子に与えたものであったことが発覚。この不審な経緯に、新聞は千鶴子の透視能力について否定的な論調を強めて行った。

 翌1911年1月18日、重クロム酸カリで服毒自殺を図り、翌日未明に24歳の若さで死亡した。地元では自殺の原因は父親との金銭的なトラブルによるものだと見られていた。新聞や世間からの激しい攻撃に耐えられず自殺した、と一般にいわれるが、自殺直後はともかく、死後しばらく経つと、彼女を非難する内容の報道はされなくなっていった。

 現在では、御船千鶴子の「能力」の実在は極めて疑わしいとされている。「透視」に成功した場合でも、意識が集中できないとして彼女は常に観察者に対して背を向けて「透視」しており、側面や正面からの観察は頑なに拒否していた。そして成功した場合は常に糊付けで封印された容器が多く、それも10分近く時間をかけている。これだけの時間をかければ、つばをつけて封をはがし、また貼り付けて体温で乾かすことが可能という実際の検証結果も示されている。

 鈴木光司の小説『リング』の登場する超能力者、貞子の母のモデルとなったと噂された。しかし、当の鈴木光司が御船千鶴子のことを知ったのは小説の完成後のことであった。

 1911年1月19日死去(享年24)


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