有島武郎



有島武郎(ありしまたけお 1878年3月4日生)
 [小説家]


 学習院中等科卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。農業学校卒業後に軍隊生活を送り、その後1903年に渡米する。

 ハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学び、社会主義に傾倒しホイットマンやイプセンらの西欧文学、ベルクソン、ニーチェなどの西洋哲学の影響を受ける。さらにヨーロッパにも渡り、1907年帰国。このころ信仰への疑問を持ち、キリスト教から離れる。

 帰国後はふたたび予備見習士官や大学の英語講師として過ごしていたが、弟の生馬を通じて志賀直哉、武者小路実篤らと出会い同人誌『白樺』に参加。『かんかん虫』『お末の死』などを発表し、白樺派の中心人物の一人として小説や評論で活躍した。1916年に妻と父を亡くすと、本格的に作家生活に入り、『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『迷路』を書き、1919年には『或る女』を発表した。

 しかし創作力に衰えが見え始め、『星座』を途中で筆を絶つ。1922年、『宣言一つ』を発表し、北海道狩太村の有島農場を開放。1923年、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と知り合い、恋愛感情を抱く(当時有島は既に妻に先立たれていた)。しかし秋子の夫春房に知られるところとなり、脅迫を受けて苦しむことになる。

 そして6月9日、二人は軽井沢の別荘(浄月荘)で首吊り心中を遂げた。7月7日に発見されるが、梅雨の時期に一ヶ月以上遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認されたという。遺体が発見されたとき、二人の遺体は蛆虫の巣と化しており、天井から床まで滝のように蛆虫が湧き、別荘の屋外まで溢れかえっていたとされる。複数残されていた遺書の一つには、『愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた』と残されていた。

 1923年6月9日死去(享年45)


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