ジム・ジョーンズ



ジム・ジョーンズ(Jim Jones 1931年5月13日生)
 [アメリカ・カルト教団人民寺院の教祖]


 1931年アメリカインディアナ州に生まれる。父親はKKKの信奉者でジョーンズが12歳の時に家族を捨てた。母親は地元でボランティア活動に積極的に参加し弱者救済をしていた。日曜日には母親や兄弟と共に教会に通い、優秀な成績で高校卒業後、結婚。インディアナ大学在学中、メソジスト教会で牧師として働き、猿を売り歩いて生計を立てた。後に核戦争への危惧から南米に核シェルターを建設、移住した。

 1963年にカリフォルニア州を本拠地とする人民寺院(People's Temple)を結成。1974年、南米ガイアナの密林奥地に本拠地を移し、自らの名をとってジョーンズタウンと名付け自分の妻子と信者らと共に入植。信者たちに強制労働が行われているとの噂が立ち、1978年11月18日アメリカ下院議員レオ・ライアンら5人がジョーンズタウンに調査に訪れた。調査を終え帰る途上、人民寺院の信者の一隊が議員一行を襲撃して殺害。この直後ジョーンズは信者らに死を命じる。

 信者たちは、同日午後5時過ぎ、ジョーンズの指示によって、大きな鍋に入ったシアン化合物入りの飲料水を飲むか、シアン化合物を注射して集団自殺を図り、「ジョーンズタウン」で暮らしていた信者の約9割の914人が死亡した。その内の267人は18歳以下の子供であった。なお、これに先立って数十回に渡りジョーンズは信者に対して集団自殺の「予行演習」を行わせていた。集団自殺の模様を録音したカセットテープが残されており、ジョーンズは、ライアンら「一部の嘘つきたち」の訪問によってこれ以上教団での生活が不可能になったと主張し、信者たちに対し、これは「革命的自殺」であり、「別世界への旅立ち」だと訴えていた。

 死者の中には無理矢理自殺を強要され、300人程度が他殺されたという説もある。また、同時にジョーンズも自らの妻子を先に自殺させた上で、自らのこめかみをピストルで撃ち自殺した。なお、この集団自殺の生存者はジョーンズタウンから脱走した167名のみであった。同日夕方にはジョージタウンの教団本部でメンバーのシャロン・エイモスが自身の3人の子供たちを包丁で殺害後自殺している。

 翌日、事件の知らせを受けたガイアナ国防軍がジョーンズタウンに到着したが、後には死体の山だけが残されていた。

 この事件による犠牲者は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロまで、アメリカ市民の事件による死亡者数では最大であった。

【最期の演説】
 「お前達に素晴らしい暮らしをさせようと、私はがんばった。だが、私がこれほど努力したのにもかかわらず、一握りの者達の偽りの報告によって、私たちが生きていくことは不可能になった。今日起こった出来事で、もう私たちの逃れる道はなくなってしまった。我々は皆、火薬の樽に腰を降ろしているようなものだ・・・。間もなく今日出ていった仲間の一人が飛行機のパイロットを射殺するであろう。私には分かるのだ。これは私が仕組んだことではないが、私にはこうなることが分かっているのだ。子供たちを一人たりとて後に残してはならない。まもなく彼らがここへパラシュートでここに降りて来るからだ。子供たちにはやさしくしなさい。老人たちにも優しくしなさい。そして古代ギリシアの人々のように毒杯をあおごうではないか。これは自殺ではなくて、革命的行動なのだ・・・・お前達は兄弟姉妹から離れることは出来ないのだ。(泣き叫ぶ子供に向かい)ヒステリックに騒がせるな!これは共産主義者の死ではないのだ。今までは私たちに選択の余地はなかったが、今なら少しは選択の余地がある。さぁ早く、早く、愛する子供たちよ。敵の手に落ちることだけは避けようではないか。威厳を持って死ね、死は美しい、死だけが平和なのだ!」

 1978年11月18日死去(享年47)





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