ロベルト・エンケ



ロベルト・エンケ(Robert Enke 1977年8月24日生)
 [ドイツ・サッカー選手]


 テューリンゲン州イェーナ出身。ポジションはGK。故郷のFCカールツァイス・イェーナに入団し、1995年11月11日のハノーファー96戦でデビューした。1996年夏、ブンデスリーガのボルシア・メンヒェングラートバッハに移籍。1999年、ポルトガルのベンフィカに移籍したが、当時のベンフィカは混乱期にあり、在籍した3シーズンで監督が3回も代わった。クラブは財政的な問題を抱えており、選手への給料の遅配などもあった。リーグ戦は史上最低の6位に終わり、タイトルはひとつも獲得できなかった。それらの問題にもかかわらず、エンケは好プレーを続け、アーセナルFCやアトレティコ・マドリード、マンチェスター・ユナイテッドFCから関心が示された。2002年6月にベンフィカとの契約が満了し、移籍金なしの3年契約でスペインの名門FCバルセロナに移籍、翌2003年3月2日のCAオサスナ戦でリーガ・エスパニョーラデビューを飾った。

 2004年7月、ブンデスリーガのハノーファー96に移籍金なしの2年契約で移籍した。ここでは正GKに定着して成功を収め、キッカー誌の最優秀GKに選ばれた。より規模の大きいVfBシュトゥットガルトなどから注目を集めたが、2006年12月に2009〜2010シーズン終了後までの契約延長をしたことで他クラブへの移籍の可能性は消滅した。2007〜2008シーズンにはチームメイトによって主将に選出され、2シーズンと少しの間主将を務めた。2008〜2009シーズンは所属クラブが11位だったにもかかわらず、再びキッカー誌のベストイレブンに選出された。ハノーファー96では通算180試合に出場した。

 ドイツ代表初招集は1997年で、その後しばらくはドイツ国外のクラブに在籍していたためにドイツ代表とは疎遠となったが、ハノーファー96移籍後の2007年からは再び招集されるようになった。2010 FIFAワールドカップ欧州予選では5試合に先発し、そのうちの4試合を完封した。

 2009年11月10日、ハノーファーの自宅近くにある踏み切りで快速列車にはねられて死亡した。遺書が発見され、警察は自殺であると判断した。夫人によると、エンケは過去6年間うつ病に悩まされ、精神科医に通院していたという。最初に治療を受けたのは2003年で、当時所属していたバルセロナで出場機会に恵まれず、将来を危惧していたという。いったんは健康を回復、2004年に母国のハノーファーに移籍後は主力として活躍して代表復帰も果たしたが、3年前には2歳の長女を心臓病で失う悲劇にも遭っていた。11月15日、ハノーファー96のホームスタジアムであるAWDアレーナで執り行われた追悼式典に45000人が詰めかけた。白いバラで覆われたエンケの棺が6人のチームメイトによって運ばれ、2歳で亡くなった娘の墓の隣に埋葬された。

 2009年11月10日死去(享年32)


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