清水由貴子



清水由貴子(しみずゆきこ 1959年9月7日生)
 [歌手/女優]


 東京都出身。幼少の頃、父親が月賦でオルガンを購入してくれたことで音楽に目覚める。1968年、父が心臓肥大のため他界。生活が急変する中、家族を支えた。1975年9月、オーディション番組に応募したという同高校の生徒に刺激され、NTVのオーディション番組『スター誕生!』に応募。翌1976年2月18日、『スター誕生!』の第16回決戦大会でイルカの『なごり雪』を歌い、芸能プロダクション、レコード会社合わせて14社からスカウトのプラカードが上がる。同じこの決戦大会で合格し、のちにピンク・レディーとなる根本美鶴代と増田恵子の二人組をおさえての最優秀賞(グランドチャンピオン)だった。決戦大会後は日本テレビを交えた作戦会議が何度も開かれ、期待の新人として万全に万全を期す形で、合格から1年後の1977年3月1日に「お元気ですか」で歌手デビュー。デビュー曲はスマッシュヒットとなり、当時盛んだった賞レースにおいても数多くの新人賞を獲得。翌年もシングルはコンスタントにリリースされていたが、これといったヒットには恵まれず、歌手活動の傍ら次第に活躍の場をテレビドラマやバラエティー番組に移していった。

 1990年代に入ると、フジテレビ系列の連続ドラマ「噺家カミサン繁盛記」での主演、NHK朝の連続テレビ小説「春よ、来い」のレギュラー、その他数多くの2時間ドラマにも出演。2000年には「フジテレビ、今世紀最後の昼ドラ」と銘打った「幸福の明日」で、子供の取り違えに苦悩する主人公を演じ、女優としての幅を広げた。 以降は2度目となるNHK朝の連続テレビ小説「こころ」のレギュラーをはじめ、連続ドラマやシリーズドラマへのゲスト出演、映画「ランドセルゆれて」での主演等、中堅女優として順調な活躍ぶりを見せていた。が、そのさなかの2006年、「母親の介護も兼ねてゆっくりしたい」という本人の希望により、デビュー以来所属していた芸映から独立するも、翌2007年9月に芸能界から完全に引退した。

 2009年4月21日、静岡県駿東郡小山町の冨士霊園にある父親の墓前で、硫化水素が充満した黒いポリ袋を顔に被せた状態で自殺しているのが見つかった。死亡時刻は前日の20日午後5時頃。その傍らに要介護5の母親が車椅子に座った状態で残されており、一時意識を失っていたが命に別状はなかった。前日20日のその日、父親の墓参り行くという姉・清水由貴子と母親を玄関先で見送った妹が、その後姉の携帯に何度かけても連絡が取れず、翌日の日中、自身の夜勤を終えて帰宅してもまだ戻ってきていないことを不審に思い、霊園側に問い合わせたことによって発見されたものであった。生前の明るいイメージとは結びつかないショッキングな亡くなり方は、芸能界だけでなく世間にも衝撃をあたえ、発見から一夜明けた翌22日のテレビ、スポーツ紙上でも大きく取り上げられた。かつてテレビ番組で共演し、又デュエット曲でレコーディングした小西博之は、「自殺で死ぬなんて、僕は一生ユッコを許さない。天国なんかに絶対に行かせない。冥福も祈らない。僕が引き戻してやるから」と、突然の訃報に激怒しながら号泣していた。

 遺書に書かれた「東京では葬儀をあげないで下さい」という遺志通り、4月24日に静岡県御殿場市で密葬が営まれた。戒名は介護を続けた母への愛情に満ちた人生を意味する「慈孝由和清大姉」。2009年11月17日、清水由貴子の実妹が「介護うつ −お姉ちゃん、なんで死んじゃったの?−」を出版。「周囲には一切弱音を吐かなかった」と実姉・由貴子の姿を振り返りながらも、介護による孤立・自殺の防止を訴え続けている。なお、一命を取り留めた清水の実母は、翌2010年9月17日に都内の病院で79歳で亡くなっている。

 2009年4月20日死去(享年49)





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