吉里弘太郎



吉里弘太郎(よしざとこうたろう 197?年生)
 [プチエンジェル事件犯人]


 沖縄県出身。過去にホストクラブで2年間ホストのバイトをしていた。ニューヨーク、パリに遊学経験があり、外国人の友人が多かった。自らもロリコン趣味で、多くのロリータデートクラブで「顔」のような存在だったという。都内のホテルを転々としながら優雅なホテル暮らし生活を送っていた。

 2003年、東京都で稲城市の小学6年生の少女4人を誘拐・監禁する事件を起こす。犯人の吉里弘太郎(29歳)は無店舗型のロリコンデートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5000円、下着提供10000円、裸体撮影10000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。

 2003年7月上旬、少女のうちの1人が渋谷で勧誘され、「会ってくれたお礼」として吉里から金をもらう。吉里からは「いつでもおいで」といわれており、以降も携帯電話で連絡を取っていた。

 11日、吉里はフェラーリ2台を売却する。 同日、吉里とは別の男が赤坂の短期賃貸型マンションの部屋を契約する。部屋は最上階11階の2LDKで、費用は吉里が払った。

 12日、吉里は都内の量販店でポリタンクや鉄アレイを購入。この際に練炭や七輪も購入したとみられている。

 13日、少女4人は吉里から「部屋を1万円で掃除してほしい」と誘われ、午後1時過ぎに渋谷の高級ホテルで面会をした後、渋谷駅前から2人づつタクシーに分乗して赤坂のマンションに連れていかれる。1台目の車に吉里が乗り込み、時間を置いて2台目の車に若い男が同乗してきた。マンションで掃除を始めると「ここに来た意味わかるよね」と吉里の態度が豹変、手錠と目隠しをされて監禁された。2人が逃げようとするが失敗、手錠にポリタンクや鉄アレイを付けられて逃げられないようにされ、スタンガンで脅された。共犯と思われる2台目の車に乗ってきた若い男は部屋には入ってこなかったという。

 13日深夜、家族から警察に捜索願いが出される。

 16日、マスコミで少女が行方不明になったと報道される。同日、警視庁は吉里の逮捕状を2002年3月に中学2年の少女を買春した容疑で請求。捜査員が吉里の住所付近で聞き込みを始める。同日午後9時頃、吉里はリビングでテント状にしたビニールの中に入り、七輪で練炭自殺を図り死亡した。

 17日、物音が聞こえなくなったのを見計らい、少女の1人が手錠をはずして脱出、マンション隣にある生花店に裸足で駆け込み助けを求める。駆けつけた警察官が4人を保護、吉里の死亡を確認。

 事件を受けて翌日には渋谷で一斉補導が行われ、少年少女1500人以上が補導された。

 その後の捜査によって、借りていた埼玉県久喜市のアパートから1000本以上のビデオテープと2000名に及ぶ顧客リストが押収された。しかし、多くが偽名であることを理由に突然捜査は打ち切られ、以降、捜査が進められることもなかった。そのため、この手の事件にありがちな芋づる式の一斉検挙といった動きは無く、事件は未解決のまま終わっている。

 当時、参議院議員・鴻池祥肇(防災担当大臣)が事件後に「少女4人も、加害者か被害者か分からない」と語った言葉が、「少女を金で買う側に責任が無いとの前提を含んでいる」などの批判が起きた。

 遺書もなく吉里が自殺したため犯行の動機はわかっていない。ただ、吉里の父親は元警視庁キャップで、朝日新聞の西部本社社会部長だったが、1993年に難病の頭頸部ジストニアを発症して1996年に自殺、東京芸大出身のデザイナーだった兄も1999年に自殺、2001年には母親が自殺未遂を図っているなど身内に不幸が相次ぎ、また、本人も持病のアトピー性皮膚炎で苦しみ知人に死にたいともらしていた。

 警察発表をはじめ、この事件には当初から不審な点が数多く指摘されており、「少女たちが何かを隠している」「顧客リストの中には警視庁の大物がいた」「暴力団などの裏組織が介入していた」などと噂が流れ、「死んだ吉里一人が全ての犯人とされ、共犯者や顧客は存在しないことにしている」というまことしやかな憶測が流れたが真意のほどは定かではない。

【不審な点】
 事件現場が、国会や大使館などがある赤坂でなく渋谷として報道された。

 吉里の死については遺書もなければ動機もはっきりしないのに深い捜査もなく、司法解剖すらされていない段階で自殺と発表された。

 警察発表によると、吉里はビニールをテント状にした中へ入って、足元に2個の七輪で練炭を炊いた「急性一酸化炭素中毒死」と断定されたが、日本テレビが行った検証によると同様の方法ではビニールが解けてしまい窒息死には至らないという結果が出ている。また、ビニール内が非常に高温になったはずだが火傷も暴れた形跡もなく、現場にいた少女たちも焼ける匂いを証言していなかった。

 部屋の中に100万円もありながら、ATMで現金を引き出している。しかも監禁されて身動きが出来ないはずの少女の一人が、吉里に代わって近くのATMで現金を引き出していた。

 マンションを拠点に経営をしていたが、管理人が何十人もの小学生の出入りに一度も気づかなかった。

 生花店の店員は当初「少女が窓から助けを求めていた」と証言していたが、その後「花屋まで少女が駆け下りてきた」と証言を変えた。

 未成年者の行方不明は即日情報公開が行われるのが通例だが、この事件では16日夜になっても公開捜査をしていなかった。

 押収された顧客リストには約2000人の名が記されていたというが、吉里がたった一人で運営していたとは思えず、共犯者の存在は何度も浮上している。現に少女達の目撃証言などから自殺した吉里以外に客引き・女子高生・運転手・部屋の実名義人の、数人の共犯者がいるこがわかっている。そのうち2名は名前が判明していて、うち一人は警視庁幹部の息子だと漏らした捜査官がいたが、警察は後になって「名前は分かっていない」と否定。

 吉里の預金は35億円であるにもかかわらず、フェラーリ2台を11日に売却していた。

 吉里の人脈は広く、自民党の大物代議士の名刺まで持っていたという。押収された顧客リストの中には大物政治家やその秘書、財界の有名人からタレント、教師や医者までが名を連ねていたことが浮上。これは警察情報を基にして実際に報じられたが、後になって「ほとんど偽名だった」との発表後に公開されなくなった。

 2003年9月、この事件の真相を追って取材活動を続けていたフリーライターの染谷悟が東京湾で刺殺体となって発見された。染谷は1年前から、自宅のベランダや窓を壊されたり、空き巣の被害に遭うなどしていた。知人の携帯電話に染谷から不審なメールが届いていたことが分かった。メールは「旅に出る」とする内容だったが、発信元のアドレスは染谷が直前まで使用していたものではなかった。染谷は頻繁にメールアドレスを変更していたことから本人の可能性もあるが、何者かが染谷の失跡を隠すために偽装した疑いもある。また、最近になって「中国人に命を狙われている。殺されるかもしれない」と周囲に漏らしていたことが分かっている。

 これだけ捜査すべき点がありながら、監禁事件を被疑者死亡の書類送検で終結させている。その直後、本来であれば事件の真相を追求する側のマスコミが報道をピタリと止め、事件を避けるようになった。

 2003年7月16日死去(享年29)


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