ジーン・セバーグ


ジーン・セバーグ

ジーン・セバーグ(Jean Seberg 1938年11月13日生)
 [アメリカ・女優]


 映画監督のオットー・プレミンジャーに見出され、17歳のときに『聖女ジャンヌ・ダーク(Saint Joan)』でデビュー。1957年の『悲しみよこんにちは』に出演。彼女のベリーショートは「セシルカット」として流行した。1959年にはジャン・リュック・ゴダールの初監督作品「勝手にしやがれ」に主演。その後、アメリカやフランスで30本以上の映画に出演したが、ヒット作には恵まれなかった。

 プライベートでは公民権運動や反戦運動に傾倒し、全国有色人向上協会‎やブラック・パンサーをサポートしたためFBIからマークされてしまう。特に1970年、彼女の妊娠中に、お腹の子は彼女の夫との子供ではなく、ブラック・パンサーの幹部との子供であるといううわさを流された。セバーグは結局流産してしまうが、父親についてのうわさを否定しようと記者会見で流産した胎児の写真を自ら公表する。胎児にはアフリカ系の特徴は見られなかったが、セバーグが精神面でバランスを崩し始めていることは誰の目にも明らかだった。その後は深刻なうつ病に悩まされたという。

 1979年の8月に失踪し、11日後にパリ郊外に駐められた車の中から全裸遺体で発見された。検視による結果、死因はアルコールとバルビツール(睡眠薬)による大量摂取、手にしていた遺書めいた手紙には『許してください。もう私の神経は耐えられません』と書かれていたことで死因は自殺と発表された。

 しかし、自殺としては動機が不明であること。血中の異常なアルコール濃度と睡眠薬の関係。下着さえつけずに全裸で死んでいた不自然さ。死後数日たって発見されたのに、死体の乗っていた車が直前に動かされていたことなどから、FBIによる暗殺説もまことしやかに囁かれており、今もなお真相は謎のままである。

 1979年9月8日死去(享年40)





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