アンナ・ニコル・スミス



アンナ・ニコル・スミス(Anna Nicole Smith 本名:ヴィッキー・リン・ホーガン 1967年11月28日生)
 [アメリカ・プレイメイト/女優]


 テキサス州ヒューストンで生まれて、高校中退後、17歳で最初の結婚をしている。翌年長男ダニエル・ウェイン・スミスを出産したが1987年に夫と別れ、ウェイトレスやストリッパーとして働きはじめた。その後、『PLAYBOY』創始者のヒュー・ヘフナーに見出され1992年3月に『PLAYBOY』誌の表紙を飾り、「マリリン・モンローの再来」とデビューを飾った。翌年には「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、パリの有名デザイナーのショーやモデルとして一世を風靡した。

 1991年10月ヒューストンのナイトクラブでストリッパーとして働いていた店に客として出入りしていた、テキサスの石油大富豪、J・ハワード・マーシャルと出会い、63歳年上の大富豪との結婚に世間を騒がせた。誰が見ても金目当ての再婚だった。1994年6月27日に結婚し、翌1995年8月4日にJ・ハワード・マーシャルが死去。当時、アンナが夫の葬儀にウエディングドレスを着て参列したと、これもまたマスコミ各誌の話題となり世間を賑わせた。

 そして、夫の残した15億ドルともいわれる莫大な遺産を巡って、さまざまな人物と訴訟合戦が持ち上がる。28歳年上の義理の息子E・ピアース・マーシャルを相手取り裁判を起こしたが、E・ピアース・マーシャルは2006年6月20日に病死した。同年9月7日、バハマの首都ナッソーで長女ダニーリンを出産。9月26日にラリー・キングとのインタビューでアンナの弁護士として長く働いてきたハワード・K・スターンが父親であると名乗り出た。しかし芸能ジャーナリストのラリー・バークヘッドと、女優のザ・ザ・ガボールの夫フレデリック・プリンツ・フォン・アンハルトもまた自分が父親であると次々と主張し、最終的には、誰が本当の父親であるかを確認する為のDNA鑑定にまで及んだ。

 アンナとハワード・K・スターンは9月29日ナッソーで結婚の誓いを交わしたが、結婚証明書を作成していなかったために法的には二人の結婚は成立していなかった。

 同年9月10日、息子ダニエル・ウェイン・スミスが急死。死因は抗鬱剤のゾロフトとレキサプロおよび鎮痛薬のメタドンの内服とこれらによると推定される薬剤性不整脈が原因と推定されている。ダニエルは失恋で軽い鬱病状態にあり、医師を受診していた。

 ついにはアンナ自身も謎の死を遂げることとなる。2007年2月8日、アンナはフロリダ州ハリウッドのハードロック・ホテル・アンド・カジノの部屋で倒れているところを発見され、病院で死亡が確認される。息子の謎の死に続き、ゴシップ誌の格好の的となり、彼女の死をメディアも速報で伝えた。ハリウッドでは地元警察が記者会見を行い、「彼女に同行していた施設の看護師が倒れているのを発見し、午後1時45分ごろに通報を受けた。ボディーガードが蘇生処置をし、病院に緊急搬送した。病院は午後2時49分に死亡を確認した」と発表した。このことについて、「なぜ、蘇生処置を看護師ではなく、ボディーガードが行い、本来ならば蘇生処置を行わなければならない看護師がフロントに連絡しにいったのか」とメディアは早速、疑問点をあげた。

 なお遺言状で全財産が譲渡されるはずだった息子がすでに死去しており、生後間もない娘の父親に3人の男性が名乗りを上げていることから、推定15億ドルの遺産をめぐっては混沌とした状態にある。2007年4月10日にバハマの法廷は、DNAテストを元にラリー・バークヘッドがアンナの長女ダニーリンの実の父親であると証明、発表した。

 2009年3月13日米カリフォルニア州司法当局は、アンナに生前、過剰に薬物を投与していたなどとして、共謀容疑でハワード・K・スターンと医師2人を訴追した。訴追状によると、3人は共謀して2004年から2007年にかけ、正当な医療目的がないのに、鎮静剤や抗鬱剤など数千錠をアンナに処方、投与するなどしたとのこと。今のところ、アンナの死因との関係は明らかされていない。

 2007年2月8日死去(享年39)


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