エリオット・スミス



エリオット・スミス(Steven Paul "Elliott" Smith 1969年8月6日生)
 [アメリカ・シンガーソングライター]


 オルタナティブロックバンド、ヒートマイザーの一員として活動中の1994年にソロデビュー。

 1996年、スミスは映画監督ガス・ヴァン・サントから彼の映画「グッド・ウィル・ハンティング」のサウンドトラックの依頼を受け、書き下ろしの新曲「Miss Misery」、オーケストラバージョンの「Between The Bars」およびリリース済みの3曲を提供した。1997年に公開された映画は成功をおさめ、スミスの「Miss Misery」もアカデミー歌曲賞にノミネートされた。この時期、スミスはすでに重度の飲酒癖を抱えていたが、それに加えて抗うつ薬を服用するようになる。

 1998年、アカデミー賞会場でスミスは白いスーツを着て短縮版の「Miss Misery」をオーケストラをバックに演奏した。結局、セリーヌ・ディオンが歌った、映画「タイタニック」の主題歌「My Heart Will Go On」が受賞したが、スミスからは落胆した様子はうかがえなかった。

 1998年、スミスはメジャーレーベルのDreamWorks Recordsに移籍する。インディーズからのステップアップを果たす一方で、当時のスミスは深刻なうつ病を患っており、周囲に自殺願望を口にするようになっていた。実際に少なくとも一度、本気で自殺を試みている。ノースカロライナに滞在中のある日、酩酊状態になったスミスは崖から飛び降りた。彼は木の上に落下し、枝が彼の体を貫いたが、結果的にそれが自殺を阻止した形となった。

 2000年、5作目となるアルバム「Figure 8」をリリース。しかし、スタジオでの緻密な多重録音により完成されたアルバムの曲をライブで再現することの困難さ、特にバックバンドの大音量にかきけされてしまうスミスの声の細さは彼を悩ませることになる。自身の声質への自信喪失は、アルバムの出来自体への自問にも繋がり、ツアーの終わり頃からヘロインを常用するようになる。

 2001年から2002年にかけてスミスはほとんどライヴ活動を行っていないが、2001年12月20日ポートランドで行われたショウのレポートは、彼の外見と行動に対する懸念を示していた。髪は伸び放題で脂ぎっており、顔は無精ひげにおおわれ、やつれていた。薬物あるいはアルコールの影響からか、彼は演奏中にしばしば記憶障害に陥り、指の動きもおぼつかなかった。スミスが歌詞(時折ギターのコードも)を思い出せないとき、観客はしばしばそれを叫んで教えなければならなかった。

 2002年の11月25日には、ベックとフレーミング・リップスのライヴ会場にて、ロサンゼルス市警の警官と乱闘騒ぎを起こしている。

 このような苦境の中、2002年末からスミスは神経伝達物質修復センターに通い、点滴治療によってドラッグ中毒を克服した。さらには長年に渡って依存していたアルコールや抗うつ薬を断つことにも成功。ちょうど34歳の誕生日を迎えた頃にはクリーンな体に戻っていた。

 2003年10月21日、スミスは胸に負った二箇所の刺し傷が原因で死去。スミスと同棲していたジェニファー・チバによると、当日二人は口論をしチバはバスルールに閉じこもっていたが、突然叫び声が聞こえたのでチバがバスルームを飛び出ると、そこにはキッチンナイフが胸に刺さった状態のスミスが立っていた。彼女はナイフを引き抜いて、救急車を呼んだが、スミスは搬送先の病院で午後1時36分に死亡した。当初は自殺とみられたが、公開された検視報告書では殺人の可能性も否定されていない。現場のポストイットには「I'm so sorry—love, Elliot. God forgive me.」と遺書のようなメモが残されていた。

 2003年10月21日死去(享年34)


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