マリリン・モンロー



マリリン・モンロー(Marilyn Monroe 本名:ノーマ・ジーン・モーテンセン 1926年6月1日生)
 [アメリカ・女優]


 カリフォルニア州ロサンゼルス出身。1950年代中盤から現在に至るまで「アメリカのセックスシンボル」と称される。身長166.4cm 体重53.5kg B94 W61 H86、トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。

 1951年に『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演、注目される。1953年『ナイアガラ』での腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集める。続く『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』や『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなった。

 1954年2月1日に元プロ野球の人気選手ジョー・ディマジオと結婚して世間の話題をさらったが、結婚生活は9ヶ月しか続かなかった(ディマジオの方は未練があったようで、離婚後もモンローに求愛し続けていたという)。1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、1957年頃から不安定な状態が続き、睡眠薬を飲み過ぎたりして、精神病院に入ったりもした。1961年にアーサー・ミラーと離婚。この頃、ジョン・F・ケネディと交際していたと言われている。

 1962年8月5日、自宅の寝室で全裸で死んでいるのが発見された。死の直後、マスコミでは死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。ただのドラッグ・オーバードーズであるとの声もある。

 しかし1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている(謀殺説はモンローの死後間もない時期から存在していた)。現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、電話局からは通話記録はなく、部屋からは彼女の日記(赤い手帳)が消えていた。

 急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れたという説の他に、仮に謀殺だとすると、電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主が関わっていたとする主張がある。

 なお、ジョン・F・ケネディ大統領と不倫関係にあったことが死後複数の証言から暴露された上、お互いを紹介したのがマフィアの大ボスに関係しているフランク・シナトラであったと言われていることが、この謀殺説を後押ししている。また、弟であり当時の司法長官だったロバート・F・ケネディとも不倫関係にあったと噂されていて、常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けたという話もある。

 葬儀はかつて夫だった男の中でディマジオだけが参列し、息を引き取ったモンローを前に「愛している」と声をかけ続け、涙を流したと伝えられている。20年にわたり、彼女の墓に深紅のバラを週3回、6本ずつ供え続けたという逸話もある。紅バラの花言葉は「情熱」。ディマジオはモンローの死後も、愛の告白に使われるこの花を墓に供えることでモンローに愛を送り続け独身を通した。1999年に84歳で亡くなる数日前に友人に語った最期の言葉は「死んだら、マリリンのところへいける」だった。

 1962年8月5日死去(享年36)





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